歴史書てけとー翻訳

漢文の歴史書を我流で適当に翻訳。
あくまでもテキトーなのでそこんトコよろしく。
更新は不定期です。
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<< 【日本書紀】卷第一 神代 その4 | main |

【明史】列伝第二百十二 外国三 『日本』

初,秀吉廣征諸鎮兵,諸三歲糧,欲自將以犯中國。會其子死,旁無兄弟。前奪豐後島主妻為妾,慮其為後患。而諸鎮怨秀吉暴虐,鹹曰:「此舉非襲大唐,乃襲我耳。」各懷異志。由是,秀吉不敢親行。二十年四月遣其將清正、行長、義智,僧玄蘇、宗逸等,將舟師數百艘,由對馬島渡海陷朝鮮之釜山,乘勝長驅,以五月渡臨津,掠開城,分陷豐諸郡。朝鮮望風潰,清正等遂偪王京。朝鮮王李昖棄城奔平壤,又奔義州,遣使絡繹告急。倭遂入王京,執其王妃、王子,追奔至平壤,放兵淫掠。七月命副總兵祖承訓赴援,與倭戰於平壤城外,大敗,承訓僅以身免。八月,中朝乃以兵部侍郎宋應昌為經略,都督李如松為提督,統兵討之。

當是時,寧夏未平,朝鮮事起,兵部尚書石星計無所出,募能說倭者偵之,於是嘉興人沈惟敬應募。星即假遊擊將軍銜,送之如松麾下。明年,如松師大捷於平壤,朝鮮所失四道並複。如松乘勝趨碧蹄館,敗而退師。於是封貢之議起,中朝彌縫惟敬以成款局,事詳《朝鮮傳》。久之,秀吉死,諸倭揚帆盡歸,朝鮮患亦平。然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,中朝與朝鮮迄無勝算。至關白死,兵禍始休,諸倭亦皆退守島巢,東南稍有安枕之日矣。秀吉凡再傳而亡。

終明之世,通倭之禁甚嚴,閭巷小民,至指倭相詈罵,甚以噤其小兒女雲。




初め、秀吉は広征により兵を鎮め、諸三歲糧、自分の武将を用いて中国を攻めたいと考えた。子は死に、兄弟はいなかった。前に奪った豊後島の主の妻は妾で、それを考えるのは将来の災いである。諸侯は怒りを持って秀吉の暴虐を諌め「大唐を攻めることは自分を攻める事である」と、みな懐に異志を持った。しかし秀吉は自ら行く勇気がなかった。二十年四月、清正、行長、義智、僧玄蘇、宗逸らの武将を派遣、彼らは数百艘の船に乗り、対馬から海を渡り、朝鮮の釜山を落とし、勝ちに乗って長駆し、五月には川を渡り、城を開け、豐の諸郡を落とした。朝鮮の望みは潰えて、清正らは遂に偪王京に至った。朝鮮王の李昖棄は城を出て平壤、また義州へ逃れ、使いをよこして急を告げた。倭軍が遂に王京に入り、王妃王子を追って平壤へ出発し、放たれた兵は略奪を行った。七月、副總兵の祖承訓に救援を命じ、平壤城外で倭軍と戦ったが大敗し祖承訓は命からがら逃れた。八月、中朝は兵部次官の宋応昌の経略により、都督の李如松が提督となり軍隊を統率するよう求めた。

この時、寧夏は未だ平定されておらず、朝鮮で事が起きるまで兵部尚書の石星は計画が無かったので、日本語を話せる者を募り、嘉興人の沈惟敬はそれに応募した。星は遊撃軍人階級の称号を与えられ、如松の配下に送られた。明くる年、如松師は平壤において大勝したが、朝鮮は四道を失った。如松は勝ちに乗じて碧蹄館に向かうが、敗退して師を退いた。そこで封貢の議論が起き、わが国と朝鮮はただ金で取り繕うとするようになる。詳しい事は《朝鮮伝》にて。しばらくして秀吉が死に、倭の諸将は船で帰還、朝鮮はまた平和になった。しかし関白が東国を侵してから七年、師の数十万、数百万の食糧が失われ、わが国と朝鮮には勝算がなかった。関白の死に至って戦争が終わり、倭の諸将は全て島の巣に戻り東南は安心して眠れるようになった。秀吉の死は一般に知られるようになった。

明の終わりまで、倭と通ずる事を厳しく禁じ、路地の庶民まで、甚だしくは小さな子供や女まで日本を罵った。
[中国]明史 | comments(1) | -

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この記事に対するコメント

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スタービーチ | 2011/09/28 3:40 PM
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